翻訳と辞書
Words near each other
・ ヘンリー・クレイ (原子力潜水艦)
・ ヘンリー・クレイ・アイド
・ ヘンリー・クレイ・ワーク
・ ヘンリー・クレー
・ ヘンリー・グッドマン
・ ヘンリー・グラス
・ ヘンリー・グラハム・シャープ
・ ヘンリー・グリーンリー
・ ヘンリー・グレイ
・ ヘンリー・グレイ (初代サフォーク公)
ヘンリー・グレイ (初代サフォーク公爵)
・ ヘンリー・グレイディ
・ ヘンリー・グレーディ
・ ヘンリー・ケルシー
・ ヘンリー・ケンドール
・ ヘンリー・ケーター
・ ヘンリー・ゲリブランド
・ ヘンリー・コアンダ
・ ヘンリー・コアンダ国際空港
・ ヘンリー・コアンダ空港


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ヘンリー・グレイ (初代サフォーク公爵) : ミニ英和和英辞書
ヘンリー・グレイ (初代サフォーク公爵)[こうしゃく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はつ]
  1. (n,adj-no,n-suf) first 2. new 
初代 : [しょだい]
 【名詞】 1. first generation 2. founder 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
公爵 : [こうしゃく]
 【名詞】 1. prince 2. duke 

ヘンリー・グレイ (初代サフォーク公爵) : ウィキペディア日本語版
ヘンリー・グレイ (初代サフォーク公爵)[こうしゃく]
ヘンリー・グレイHenry Grey, 1st Duke of Suffolk, 3rd Marquess of Dorset, 1517年1月17日 - 1554年2月23日)は、テューダー朝時代のイングランドの貴族、廷臣。第3代ドーセット侯爵、のち初代サフォーク公爵。1553年にイングランド王位継承者となったジェーン・グレイの父。
== 生涯 ==
第2代ドーセット侯爵トマス・グレイとその妻のの間の長男として生まれた。1530年に父が死ぬと、13歳で侯爵位を相続する〔http://www.thepeerage.com/p10208.htm#i102072〕。家督相続以前にの娘キャサリン・フィッツアランと婚約していたが〔Britain's Royal Families The Complete Genealogy, Alison Weir page 157〕、これを破棄して1533年にレディ・フランセス・ブランドンと結婚した。フランセスはヘンリー8世王の妹メアリー王女と初代サフォーク公爵チャールズ・ブランドンの娘であり、イングランド王位継承権を有していた。夫妻は王妃エリザベス・ウッドヴィルを共通の曾祖母に持つ、又従兄妹同士でもあった。2人の間に生まれた子供のうち、成育したのは3人の娘だけであった。王室の近縁者であるグレイは、若い頃からヘンリー8世の宮廷で高い地位を与えられた。1533年のアン・ブーリン王妃戴冠式、1540年のアン・オブ・クレーヴズの入国の歓迎式典、1544年に始まるではいずれもでは王の太刀持ち(the king's sword bearer)を務めた。バス騎士団騎士であり、1547年にはガーター騎士団の騎士に任じられた。
ヘンリー8世の死後、新王エドワード6世を擁した護国卿サマセット公爵が実権を握り、グレイの宮廷での立場は弱まった。彼は本邸のあるレスターシャーのに戻り、地位の回復を模索した。サマセット公爵の弟トマス・シーモア卿が、グレイの長女ジェーンを引き取ってエドワード6世の王妃とする計画を持ちかけたが、シーモア卿が失脚して処刑されたため、計画は水泡に帰した。1549年、ノーサンバーランド公爵ジョン・ダドリーがサマセット公を失脚させて護国卿に就任すると、ダドリーの友人だったグレイは枢密院議員に抜擢された。1551年7月、妻フランセスの異母弟である第3代サフォーク公爵チャールズ・ブランドンが子供の無いまま死んだ。グレイは3か月後の1551年10月11日、妻の相続権に基づいて初代サフォーク公爵に叙せられた。グレイは熱心なプロテスタント信徒として知られ、議会および枢密院でも宗教改革の推進を主張し、スイスの宗教改革者ハインリヒ・ブリンガーとも家族ぐるみで親交を持った。
エドワード6世は1553年7月6日に死去する直前、遺言でグレイの娘ジェーンを王位継承者に指名していた。王の死から3日後の7月9日、グレイ、ノーサンバーランド公爵および枢密院議員たちは、ジェーンをイングランド女王であると宣言した〔''Grey, Henry, duke of Suffolk (1517–1554), magnate'' by Robert C. Braddock in Dictionary of National Biography (Oxford University Press, 2004)〕。しかし傍系の継承権者に過ぎないジェーンの即位は人々の支持を得られず、エドワード6世の長姉メアリー1世が大多数の支持を得て王位に就いた。メアリー1世はグレイの妻フランセスの従姉で友人であるため、女王はグレイと娘ジェーン、娘婿のギルフォード・ダドリー(ノーサンバーランド公爵の息子)を助命しようと考えていた。しかしメアリー1世とスペインフェリペ2世の結婚に反対するワイアットの乱が起きると、女王は態度を硬化させ、グレイは1554年2月23日に斬首された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヘンリー・グレイ (初代サフォーク公爵)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.